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3日、第29回釜山国際映画祭で「今年のアジア映画人賞」を受賞した黒沢清監督の記者会見が、釜山広域市海雲台区にある新世界百貨店センタムシティ店の文化ホールで行われました。今回の受賞は、映画『クラウド』と『蛇の道』の2作品が映画祭のガラプレゼンテーションに共に招待され、大きな意義を持つものとなりました。会見には黒沢清監督が直接参加し、司会進行は朴度信執行委員代行が務めました。

黒沢清監督は1995年に神戸で生まれ、『艦多千淫乱戦争』(1983年)でデビューした後、映画『CURE』(1997年)で国際的に注目され始めました。その後、映画『東京ソナタ』(2008年)でカンヌ映画祭ある視点部門の審査員賞、『岸辺への旅』(2014年)でカンヌ映画祭ある視点部門の監督賞を受賞、そして『スパイの妻』(2020年)ではベネチア映画祭の監督賞を受賞しています。すべての質問に真摯に答える巨匠監督の姿から、記者会見は敬意と感動で満たされました。以下、その内容を簡潔にまとめます。

– 監督、簡単なご挨拶と作品の説明をお願いします。

「こんにちは、日本から来た黒沢清と申します。私は40年以上にわたり映画制作に携わってきました。そのためよくベテランだと言われますが、実は今でも映画が終わると、次にどんな映画を撮るべきか悩むほどで、自分なりのテーマやスタイルが定まっているとは思っていません。皆さんのイメージと私の認識には、もしかしたら少し違いがあるかもしれませんね。

今年で69歳になります。2024年には2本の作品を完成させ、この釜山国際映画祭でご紹介することになりました。1本はフランス作品で、もう1本は日本作品です。どちらも典型的なジャンル映画で、ある意味B級映画でもあります。69歳で1年に2本撮る監督が他にいるかと思うと、少し変わった監督なのかもしれません。

フランス作品は、昨年の春に撮影した『蛇の道』という映画です。これは25年前、私が日本で撮影した作品でもあり、当時はヤクザが登場する低予算映画でした。今回のセルフリメイクという形で特別な作業を行いましたが、実は私の意思で始まった仕事ではありませんでした。5年ほど前、フランスのプロダクションから私の作品の中でリメイクしたいものがあれば何かという問い合わせがあり、その話を聞いた瞬間に直感的に思い浮かんだ作品が『蛇の道』でした。

なぜこの作品が思い浮かんだのかを考えてみると、原作の脚本を書いた高橋洋監督の影響が大きかったと思います。映画『リング』の脚本でも有名な方ですが、脚本そのものが非常に良く、個性が際立っていたので、当時の作品はある意味で私の作品というよりも高橋洋監督の性向が強く出た作品だったのではないかと思います。他の多くの作品の中でも、特にこの作品は私の映画ではないかもしれないと思うほどです。そのような気持ちが、今回再び自分の作品にしたいという欲望として現れたのかもしれません。

もう1本の作品は『クラウド』です。昨年の11月から12月までの冬にかけて制作した作品で、4〜5年前から書き始めた脚本です。この作品を制作するきっかけは、日本で本格的なアクション映画を作ってみたいという思いがあったからです。日本にもアクションを扱ったジャンル映画はもちろんありますが、大抵は現実との乖離が大きくファンタジーと見なされる作品か、登場人物がヤクザや警察、殺人者など日常的に暴力と関わりのある人々の物語がほとんどです。しかし私は少し違う映画を撮りたかったのです。日常生活では暴力と無縁の一般人が、結果的に殺し殺されるという極限の関係を描いたアクション映画を作りたくてこの作品を監督しました。

この種の映画を撮りたいと思っていましたが、日本でもこのような映画に投資する方はあまりいませんでした。また、コロナの影響で脚本を書き終えた後も数年にわたり実行に移せない状況が続いていましたが、菅田将暉さんの出演が決まってから状況が変わり始めました。韓国でどの程度の知名度があるかわかりませんが、日本では30代の俳優の中でも人気、実力ともにトップクラスの俳優です。そうした俳優の出演が決まってから、ありがたいことに投資してくださる方が現れ、作品を撮影することができました。」

– 映画『クラウド』に関する質問です。監督の作品が世の中を冷ややかで厳しい視点で見ていると感じる方もいますが、私は社会やコミュニティの危険な部分を気にかけ、それを作家として伝えたいという印象を受けました。監督はこの作品を通じてどのような反応を期待されましたか?

「こう言うと嘘だと思われるかもしれませんが、実はそうした視点で映画を描こうとした意図は全くありませんでした。アクションジャンルの主人公の立場から見れば、映画『クラウド』の主人公は暗くて不透明なイメージでなければならないと思いました。ただ、社会に対する冷たいメッセージを伝えようという意図は、作品を書いている間も考えませんでした。

私のすべての映画の出発点はリアリズムです。『現実はこうだろう』という考えから映画をスタートさせたいと常に思っています。ただ、それを最後まで維持するのは本当に難しいことです。リアリズムが最後までうまく保たれれば、整理された流れに沿って物語も自然に完結すると思います。しかし、自分の中でその流れを維持することができないため、少し非現実的な展開を加え、最終的には映画の世界でしか描けない瞬間を追加したいと考えています。そのような部分が、ある意味でおっしゃったように見えたのかもしれません。

今回の映画『クラウド』に登場する主人公も、私たちの周りのどこにでもいそうな一般人として設定されています。その人が現実を生きる過程で、わかりやすいアクションを入れ、映画的な要素を加えたいと考えました。この人がアクションに至るまでどのような絵を描かなければならないか、アクションをした後の結末はどのようにすべきか、そのようなことを悩みながら今回の作品を制作しました。誰もがわかりやすいハッピーエンドで終わればいいのですが、映画を描いているとそれがなかなかうまくいかないんです。皆さんに申し訳ないと思うこともあります。」

– 今年の釜山国際映画祭のアジア映画人賞を受賞されたご感想、そして釜山を訪問された感想をお聞かせください。

「これまで釜山には何度も訪問しました。その中でも今回の訪問は個人的に特別な年になるのではないかと思っています。先ほどもお話ししたように、今年のアジア映画人賞という名誉ある賞をいただくことができたからです。昨日は華やかな開幕式にも参加させていただきましたが、生まれて初めてあんなに華やかで素晴らしい場所に立ったように思います。何よりあんなに長いレッドカーペットを歩いたのも初めてで、楽しい時間を過ごしました。新作2本も今回の釜山国際映画祭で上映されます。これもきっと一生に一度のことでしょうし、私には忘れられない思い出になると思います。

昨日、開幕式の後のアフターパーティにも参加しました。本当にさまざまな国からクリエイターたちが訪れていましたが、フランス、カナダ、香港など、多くの方々が釜山国際映画祭に来てくれました。その姿を見て、『釜山国際映画祭はまさに世界映画の縮図だな』と思い、日本からわずか1時間半で到着できるこの場所に世界の文化が集まっている、本当に素晴らしい映画祭だと感じました。」

– 映画『クラウド』の制作は菅田将暉さんが参加したことで弾みがついたとおっしゃいました。菅田将暉さんは日本でも非常に知名度の高い俳優ですが、監督がこの俳優を起用した理由や、共に作業をして感じたエネルギーについて教えてください。

「菅田将暉さんは以前から興味深く見守っていた俳優の一人です。先ほども申し上げたように、日本の若い男性俳優には魅力的な俳優が多いですが、私の今回の作品で中心人物を演じるにあたって、少しうだつの上がらない役を演じられる俳優と考えると、菅田将暉さんしかいなかったと思います。彼は自分の持つカッコいい部分をさっぱりと消し、日常の疲れをそのままの雰囲気で表現してくれました。そのため、脚本を書いている時から彼しかいないと強く思っていました。今回出演していただき、本当に感謝しています。

菅田将暉さんは日本でも非常に人気があり、忙しい俳優の一人です。理想としては彼が最適だと思っていましたが、キャスティングが難しいのではないかとも考えていました。しかし、菅田将暉さんが30代になり結婚もされて、これまでとは異なるタイプの作品に挑戦してみたいという気持ちがあったのだと思います。俳優としての新たな挑戦をしたいというタイミングで私の話がうまく重なったのではないかと考えています。ある意味、私にとっても幸運な出来事だったと思います。」

– 昨日の開幕式で映像を通じて、ポン・ジュノ監督が監督の大ファンであるとおっしゃっていましたが、そのことについて何かお答えするとしたら、どのようなことをおっしゃりたいですか?

「非常に感激しました。実はポン・ジュノ監督とは何度かお会いしたことがあり、ある意味では私にとって『韓国にいる友人』のような感覚でした。しかし、ポン・ジュノ監督があまりにも有名になり、世界的にも巨匠として認められるようになったことで、私には『手の届かない雲の上の人』という気持ちまで抱いていました。そんな中、昨日の映像で私の作品をとても好きだとおっしゃり、作品名まで直接言及してくださり、今でも私を友人と考えてくれているんだなと思えたことが本当に嬉しかったです。」

– 自分のスタイルがまだ定まっていないというお話が印象的でした。69歳という年齢にもかかわらず、自分のテーマがまだ決まっていないというのは何か秘密があるのでしょうか。映画に対する純粋な姿勢も感じますが、その点について教えてください。

「純粋な心で取り組んでおり、自分自身でもそのような気持ちでいたいと思っています。私が映画制作を始めた理由も、ただ映画を見ることが好きだったからです。映画そのものが大好きでした。しかし、素晴らしい作品と自分の作品を比べると、まだその作品たちに追いついていないという気持ちが強いです。どんなに頑張っても自分が思い描いたものの一部しか達成できていないような感覚です。

常に360度の視点で、どの角度から見ても不足のない映画を作りたいと思っていますが、いざ映画を作ってみると、ある部分が欠けていたり、もっと追求すべきだったと思うことが多々あります。そのため、この完璧な360度を追い求めながらぐるぐると回っているような気がしています。私自身が一つの方向性だけで、一つのジャンルで突き進むことは、昔からそうですが、今でも想像しにくいことで、自分でも全く想像していない部分です。」

記事出典:オーマイニュース(韓国)

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